部下の裏切り

とある会社で、私は課長に就任した。そして、部下の育成に力を注いだ。部下が困っている様子であれば声をかけ、悩んでいるときは相談に乗り、サポートに努めてきた。実務はほとんど部下に任せていたが、その代わり、マネジメントの仕事を一所懸命にこなした。

ところが、部下が突然、会社を辞めると言い出した。私が理由を聞くと、こちらの給料より、ライバル会社の給料のほうが高いというのだ。たしかに、金額は大事だろう。自分の生活も懸かっているのだから。しかし、それ以上に仕事のやりがいを感じてもらえなかったこと、そして、私のことを頼ってくれなかったことが悔しかった。あれほど丁寧に手間をかけて、仕事を教えたり親身になったりしたというのに。

 絶望した私は、相談をするべく、尊敬する部長と飲みに行くことにした。

「部長!私は、部下を想い、大切にしてきました。それなのに、やめるなんて。どうか、部下の給料を上げてくれませんか」

「そうか、そんなにも部下を大事にしてきたんだな。それはつらいだろう。だが、彼は能力が足りないから、給料をあげることは難しい」

部長は、厳しくも優しい人だった。私が尊敬する唯一の上司だった。私がかつて、一社員だった時、何かと目をかけてくれた。

「若手が辞めるなんて珍しくないだろう。そもそも君は、なぜそんなに落胆するまで頑張ったんだ?」

「部長のような上司になりたいと思いまして……」

「そういわれると、照れくさいな」

「いえいえ、いつもこうやって相談に乗ってくれますし、いろいろなアドバイスをいただけますから、とても感謝しています」

部長は納得したように何度もうなずいた。そのしぐさに、私は疑問を覚えた。部長は、いつも私の言うことを否定はしない。ただ、自分に厳しい人なはずだった。自分への誉め言葉に、同意する人ではなかった。

「あの……?」

「ああ、すまない。君の言葉で、問題点が分かって」

「どこですか?」

「君は私に感謝をしているといったよね。そこだよ」

「え?」

 私は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「部下は上司を敬うもの。君はそう思っているんじゃないかな」

「はい、当たり前です」

「それがだな、この世の中では、部下が上司を敬うのは当たり前じゃないんだよ。慣例としてあるだけだ」

 ますます頭が混乱してきた。私は、自分の頭を抱え、何度も瞬きを繰り返した。

「君には、上司を敬う気持ちがある。だから、上司が部下を労えば、部下は喜ぶ、そう勘違いしているんだ」

「上司に労われて嬉しいのは、普通じゃないですか」

「それが違うんだよ。そうだな、君はB部長を敬っているかい?」

 B部長は、鬼といわれるほどの人物だ。理不尽なことを、相当な剣幕でいわれるため、みな恐れ、不満を抱えていた。

 私が首を横に振ると、部長はそれだよ、と言って話をつづけた。

「たまたま君が尊敬できる人が、私だったということなんだよ。当然、合わない上司もいるってことだ。部下から見れば、君は敬う対象ではなかった。それだけのことだよ」

「……随分と、厳しいことを言いますね」

「このタイミングだからこそ、気付いておくべきことだよ。簡単に言うと、友人のようなものだ。気が合わない人もいるからね」

 部下の気持ちになって、考えてごらん。部長は私にそう言った。私は自分が部下になったつもりで考えてみた。もし、社内に友人としても好きでない人がいるとき、私は果たして、その人のことを尊敬できるだろうか。

 おそらく、接触自体を避けるだろう。飲みに行くなどもってのほかだ。会話することさえ、嫌に感じるに違いない。そのような人を尊敬することなど、できるはずもなかった。

「結局、会社といえど人と人なんだよ」

「そんなもんなんですね。がっかりです」

上司だからと言って、すべての人に尊敬されるわけではない。人との関係は、必ず良好とは限らない。そこに、上下関係があったとしても。それを知った時の落胆は、非常に大きかった。ただ、心のどこかでは、ほっとしていた。

「いい上司ではなく、気が合う上司と出会うことなんて、奇跡のようなものなんだよ。人生で上司に恵まれることは、少ないんだ。そう思えば、接し方も変わってくる」

「そうなんですね」

「気が合う部下は、必ず気持ちに答えてくれる。その人こそ、人として部下として、何より友人として大切にしなさい。気が合わない部下は、社会人として、最低限のマナーをもって接すればいいよ」

部長の言葉に、私は心から大きくうなずいた。きっと、力みすぎていたのだろう。私の今までの行動は、すべての人から愛されようとしていたことに、変わりないのだから。

いつか、私が部長を尊敬するように、私にも尊敬される部下ができたときには、その人こそ大事にしよう。巡り合うことは奇跡の確率。もしかしたら、ないかもしれない出会い。だからこそ、私はその人とともに、仕事をつくり上げる日を夢見ている。

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