毒親
子供の頃、不仲な両親のもとに私は生まれた。夫婦関係は、とっくに冷え切っていた。理由は、父の暴力だった。酒を飲んだ時、母を殴ったり、踏みつけたりと暴行を加えていた。まだ幼い私は、対抗できるすべもなく、その光景から目を背け、恐怖でおびえ、震えることしかできなかった。
そのまま私は成長し、大人になることができた。そして、好きな人と結婚し、子供を授かることができた。念願の子供だった。自分の膨らんだお腹をなでながら、「生まれてきたら、同じ想いをさせない」と心に誓った。
しかし、現実は厳しかった。初めてで、うまくいかないことばかりだった。授乳しても、上手に飲んでくれなかった。沐浴させると、暴れだし、湯につけることが大変だった。そして、何かあるたびに、すぐに泣きだした。
子供が声を上げるたび、たとえ真夜中であっても、私は起こされる。あやさなければ、寝るに寝られない。ストレスは塵のように積もっていくが、仕事で疲れている夫を頼るわけにもいかない。どうしていいのかわからないことが、またストレスになる。
ある夜、また子供は火が付いたように泣き叫び始めた。うるさい、しつこい。いい加減にして、私だって疲れているのに。私の心は限界に達していた。今すぐにでも、奇声をあげそうだった。
「はやく黙ってよ!!」
パチン、という乾いた音が、部屋に響いた。衝動を抑えきれず、私はわが子の頬に平手打ちをしていた。
その日から、子供への身体的虐待は始まった。いらだつたびに、赤子に手を出してしまう。いけないことだとはわかっていても、止まっていた歯車は、動き出したら止められない。私の力では自分を抑えきれない。
それでも、私はこのことを誰にも相談しなかった。もちろん、夫でさえも。叩くとはいえ、それなりに手加減はしていたから、身体に大きな傷ができるわけでもなかった。
しかし、子供が喋るようになると、私の虐待はエスカレートしていった。ちょうど、夫が仕事の繁忙期だった。家の中がピリピリしていたこともあるのか、子供に何かを求められるたびに、いらだってしまった。本を読んでとせがまれたり、抱っこしてと飛び跳ねられたりするたびに。私は本気で子供を殴った。足蹴りにしたこともある。いつしか子供の体には、青いあざができはじめた。子供も私を恐れて、私に近寄らなくなった。子供の体にある虐待の傷は、日々大きく濃くなっていった。
このままでは、子供を殺してしまう。危機を感じ取った私は、カウンセリングへと足を運んだ。
「どうしたら、私は虐待をやめられますか?」
私の過去と現在を話し終えた後、私はカウンセラーの先生に問いかけた。自分は、思ったよりも暗い声だった。大方、表情も沈んでいるのだろう。
先生は、今まで出会った人よりも、穏やかな人だった。私の話に耳を傾け、たびたび反応を示してくれた。私の話を否定しなかった。そして、苦労をねぎらうように、やんわりと私に話しかけた。
「あなたは、本当によく頑張ったわ」
「でも、ほかのお母さんだったら、きっと笑顔で話しています。うちの子が手を握ってくれた、とか、うちの子が笑いかけてくれた、とか。それなのに、私はわが子を傷つけているんです。自分に腹が立っています。私なんか、生まれてこなければよかった」
「そんなことないわよ」
先生は、すでにいらだっている私に、飴をすすめてくれた。フルーツ飴だった。そういえば、子供を産む前は、大好きだった果物をお腹一杯食べていた。甘いものを食べたら、少しは落ち着くかもしれない。私は、かごの中に入っていた飴を一つ取り、包みを広げて口の中に入れた。
「あなたは子供を愛してる?」
久しぶりに感じたブドウの味に舌鼓を打っていると、先生は角のない口調で私に聞いた。しかし、その言葉で頭にフラッシュバックした。わが子の泣き叫ぶ声、幸せそうに笑う姿、あどけない寝顔。どれも、いとおしいとは感じなかった。嬉しがっている表情さえ、かわいいとも、守ってあげたいとも思えなかった。
「……わかりません」
「そう。それでいいのよ」
「でも、愛してあげなければ。私が生んだ子供ですから」
ご飯を作って、本を読んで、公園で遊んで、一緒に寝て。普通の母親がする、あたりまえのことをしてあげなければ。子供のために、ママ友とも良好な関係を築き上げて。ゆくゆくは部活の発表会の準備なども、親がやらなければいけない。そうしなければ、子供がかわいそうだ。
「いっぱい背負ってるのね。今まであなたは頑張りすぎたのよ」
「でも、もどかしくてたまりません」
「あなたはね、子供を愛さなくていいのよ。大切にしなくてもいいのよ」
「……え?」
頭の中が、疑問符で埋め尽くされる。親とは、子供を守り、愛する者ではないのだろうか。
「普通の親なら、あなたの定義は正しいのかもしれないわ。でも、あなたにとっては、子供を愛することは、自分を責めることなのよ」
「自分を責める?」
「そう。愛するたびに、自分を傷つけているのよ」
子供は自分が思った通りに何かを求めてくる。それは、幼いころの私が、欲しくてももらえなかったものだった。満たされなかった心は、私が我慢してあきらめたという、つらい記憶なのだそうだ。心の奥底にある、触れられたくない部分。そこを、子供は容赦なく触ってくる。そして、私の心を大きくえぐっていく。
「もう一度聞くわね。あなたは子供を愛してる?」
「……愛してません」
「それでいいのよ」
「本当に、いいんでしょうか」
「ええ。親の役目をしているだけだもの」
自分で自分を追い込まないでね、と先生は言った。私は、てっきり怒られるものかと思っていた。虐待は絶対にしないでください、しっかり子供を愛してください。そんな冷たい声を浴びせられると思っていた。だから、先生が私の立場で考えてくれていることが、とても嬉しかった。親身になって相談に乗ってくれる人がいるだけで、胸のすく思いだった。
「今の状態で、怒っているあなたのお父様を想像してみましょう。お父様は、あなたを愛してはいないのに、世間でいう親を一生懸命やっていたの。そう考えると、同じ立場にいるあなたに、お父様はどう映るかしら」
「子供を愛していない。そんな不甲斐なさを胸に、父親を演じていたのでしょうか」
「そう。だから、あなたも子供を愛さなくていいの。愛することを、頑張らなくていいの。愛がないんだから、素直に認めてしまえばいいのよ。子供への愛はないって」
「はい」
認めてしまえば、すっきりとした気持ちになった。あまりに簡単なことで、拍子抜けしたくらいだった。
「じゃあ、次はいいお母さんを想像してみて」
私は、頭の中で理想の母を思い浮かべた。常に笑顔で生き生きとしている。料理を机一杯に並べて、子供を満面の笑顔にする。洗濯も掃除もそつなくこなし、隙間時間に、子供にとことん付き合ってあげる。
「思い浮かべても、キリがありません」
「そうでしょ? そのままイメージしててね。今から質問するわよ。その理想のお母さんとあなた、決定的に違うものって何かしら」
「ありすぎてわかりません」
「じゃあ、理想のお母さんは、苦しそう?」
常に笑顔でいるなんて、つらい時や苦しい時にできるはずがない。私が思い浮かべる理想の母は、心から幸せそうで、楽しそうだった。
「そんなことないです」
「そうなの。子育てが苦しくないのよ。どうしてだと思う?」
「そのお母さんからは、余裕のようなものを感じます」
「そのとおりよ。あなたには、余裕がないの」
そういえば、夫が仕事で忙しく、会話もろくにできていなかった。支えてくれる人がそばにいないことが、何よりもつらかった。相談したくても、疲れた顔でベッドに倒れこむ夫を見ては、何も言いだすことができなかった。それに伴って、子供からいろいろなことを求められた。先ほどの話の通り、わが子への愛は、私の大きな傷となる。子供の欲求に応じるたび、私の心は痛んでいく。心のゆとりが、私にはなかった。
「あなたは人生の楽しみ方を知らない。ただ、それだけのことなの。あなたが人生を楽しく過ごせたら、子育てはどうなる?」
「子供に、人生のすばらしさを伝えながら、育てることができます」
「そうね。その時あなたは、素晴らしい母親になれるわ」
趣味の編み物を習う。テレビを見て笑う。大好きな果物狩りに出かける。旅行に出かけて美しい景色を眺める。
好きなことなんて、子供が生まれてから、一度もする機会がなかった。子供にかかりきりで、する余裕もなかった。なにより、いい母でいようと、子供に構ってばかりいた。これからは、私の時間を作ってもいいのかもしれない。好きなことを好きなだけするひととき。それが増えれば、自然と子供に、楽しい人生を教えてあげることができる。自分にも余裕ができて、いい母としていることができる。
「次回は、あなたが人生を楽しいと思えるように、カウンセリングをしていきましょう」
先生のその一言で、カウンセリングは終わりを告げた。
私は、カウンセリングを出て、八百屋に向かった。向かい側にある店では、梅、スイカ、マンゴー、モモなど、様々な旬のフルーツが売っていた。私は梅を手に取って、考え始めた。少し多いけど、一通りの果物を買って、久しぶりにお腹一杯食べるのもいいかもしれない。梅は、砂糖漬けにして食べるととてもおいしい。スイカは縁側に腰かけて食べて、マンゴーやモモは、パフェにしたらどうだろう。考えるだけで、心が弾む。周りの景色が彩られていく。
人生は、好きなことがあるだけで、こんなにも楽しい。たとえ苦境に立たされていても、それを思い浮かべれば、自然と心に余裕ができる。それがあるから頑張れる。子供にも、この素晴らしい人生を知らせてあげたい。私は、わき上がってくる感情を、そっと胸にしまい込んだ。