生きる目的を失った私

「よくがんばったね」

カウンセラーの先生が、穏やかに話しかけてくれた。鼻の奥にわずかな痛みを感じ、目頭が熱を帯びていく。今までの苦労を思い浮かべると、どうしても涙を流さずにはいられなかった。

私の父親は、高校を卒業した後、すぐに働き始めた。大学に行くほどの金銭的な余裕が、家になかったそうだ。しかし、仕事では学歴の低さゆえに、大変な思いをしたという。書類のミスがあるたびに「これだから高卒は」と罵られ、肩身の狭い思いをしたらしい。

だからおそらく、父は私に同じ経験をさせたくないのだろう。医師にするために、両親は熱心に私を教育した。私の苦手な数学、暗記だらけの日本史や世界史、理解ができない物理まで、徹底的に塾で頭に叩き込まれた。

そして、私はその期待に応えようと、懸命に努力した。フリーな時間は、すべて勉強に費やした。友達と遊ぶ約束も、学業のために断った。趣味は机に向かうこと。いつのまにか、自分へのご褒美というものがなくなっていた。しかし、私はシャーペンを持ち、ノートに黙々と、単語を連ね続けた。全ては、両親から賞賛の言葉を聞くためだった。

そんな私は受験の日を迎え、有名大学の試験を受けた。医学部だった。合格するのは、一握りの人間だけだった。それでも、自信はみなぎっていた。あれだけやってきたのだから合格できる、そう確信していた。だが、合格発表の日、数字が並んだ大きな紙に、自分の番号が刻まれることはなかった。

「同級生は、志望校にしっかり受かっているのに、なんであなたは浪人なのよ。恥ずかしくて、外も歩けない。本当にちゃんと勉強してた? どこかでさぼっていたんじゃないの?」

落ち込んでいる私に追い打ちをかけるように、まくしたてる母。私は助けを求めるように、父のほうに視線を送った。心のどこかで期待していた。父は、私が努力した過程を認めてくれる。すべてを捨てて、勉強し続けた私をかばってくれる。

「来年はどこでもいいから必ず合格しろ」

とがった声で、父はそれだけを言うと、自分の部屋へと姿を消した。

それからは、気が狂いそうな毎日だった。母はたびたび私を責め続け、父は言葉もかけてくれない。仕事から戻ったら、ネクタイを緩めながら、すぐに自分の部屋へ行ってしまうのだ。

友達から距離を置いて、休み時間も手を休めず、お弁当を食べながら単語を暗記する日々。あの努力は何だったのだろう。だんだん馬鹿らしくなってきて、それと同時に、生きる気力を失った。

死にたい、消えたい、楽になりたい。でも、苦しむことは嫌だった。いつしか勉強もできなくなり、自室に閉じこもることが増えた。このままでは、私はおかしくなってしまう。誰かに相談できなければ、私は私でいられなくなる。テレビを横になりながら見つめていた時、突然危機感がわき上がってきた。

こうして私は、両親に内緒でカウンセリングを受けに来た。先生は、涙を流す私にティッシュを差しだしてくれた。私がそれを無言で受け取ると、彼女は柔らかな雰囲気を崩さずに、私にたずねた。

「どうしてそんなに頑張ったの?」

「私がテストでいい点数だと、両親はいつも喜んでくれたんです。だから、両親が私に望んでいることをすれば、褒められるんじゃないかって思って」

「期待に応えるために、必死に頑張ってきたんだね」

私はティッシュで涙をふきとりながら、肯定の意を示した。

「はい。でも、こんなに頑張って耐えてきたのに、私を全然認めてくれない」

「そうね。努力が報われないと、失望するよね。あなたは両親に、何を認めてほしかったの?」

「とにかく、結果だけじゃなくて、私の尽力した過程を見てほしかったんです。テストの結果を褒めるだけじゃなくて、頑張った私を認めてほしかった」

先生は、何度も何度もうなずいた。そして、それが終わるとしばらく天井を見上げて黙っていた。口元に手を当てて、考えを巡らせているようだった。

「あの……」

「あ、ごめんね」

私がそっと声をかけると、先生は再び視線を私に向けた。

「一つ、気になったことがあるの。どうしてあなたは、頑張ることと、生きる意味を、同じ枠として捉えているのかしら」

「……え?」

「だって、あなたは勉強が馬鹿らしくなった瞬間、生きる気力を失ったのよね?」

理の当然だと私は思った。なぜなら、私のすべての原動力は、嬉しいという感情だったのだから。嬉しくなるから、頑張る気になれる。そして、生きる意味を感じるようになる。もっと生きる意味を感じるために、嬉しさを求める。それが私のサイクルだった。それゆえに、頑張るという、一巡するための過程を失った私は、生きる気力を失い、苦しみの沼にはまっているのだ。

先生にそう伝えると、彼女は再びうなずき始めた。

「褒められれば、だれでも嬉しくなるよね。でも、あなたは嬉しさを求めた結果、頑張っているんだよ? 『嬉しい』から『頑張る』の一方通行なの。決して循環していないの。だから、生きる意味と、頑張ることは、繋がっていないの」

難しいが、ここまではまだ理解ができた。しかし、次の先生の言葉に、頭が全く追いつかなかった。

「あなたは、生きる意味をを見失って死にたいから、苦しんでいるんじゃない。あなたの気づいていない何かと、死にたいという想いが、反発しあっているから苦しんでいるんだよ」

「よくわかりません」

「そうね。例えば、両親はあなたのために、何もしてくれないのかしら?ご飯を作ったり、洗濯をしたり、誕生日プレゼントを買ったり、旅行をしたり。これは、本当にあなたのための行動じゃないの?」

あまりにも親として普通な行為を挙げられ、私は開いた口がふさがらなかった。

「それは、親として当然のことをしているだけじゃないんですか。友達だって、知人だって、だれもがそうやって育ってます」

「本当に、当たり前なのかしら? 今の問題は、あなたが親の愛を、当然のものだと思っていることよ。あなたは、あなた自身に向けられた愛情を、決して受け取らない人なの。至極当然という言葉を使ってね」

「でも、家事なんか、私の分はついでです。私のためにしたことではなくて、あくまで両親が、自分のためにしていることなんです。私はただのおまけです」

「そうなのね。おまけ、ね。……あなたは、ご両親が自分の努力を認めてくれないことを批判したり、今のように自分がおまけ扱いされていることを、残念がったりしているわね。でもそれは、自分が結果的にできなかったこと、されなかったことを、ご両親のせいにしているだけじゃない?」

何が言いたいのだろうか、この先生は。つまり私はただ、責任を押し付けている厄介者だと伝えたいのか。怒りで髪の毛が逆立ちそうだ。私は煮えたぎる心の中を、押しとどめるので精いっぱいだった。

「あなたは、自分自身をだましているの」

「……どういう意味ですか?」

口調がつい、とげのあるものになってしまう。しかし、先生はそのようなことは気にせずに、淡々と話し続けた。

「自分が被害者だって、決めつけている。でも、実際はそんなことはない。つまり、自分をだましているの」

「いい加減にしてください、何が言いたいんですか!」

「おこるのは分かるけど、落ち着いて聞いて。私が言いたいのはね、あなたのその行動は、自分を大切にしているからこそのものなのよ」

少し考えてから、腑に落ちた。私が自分をだまして被害者面をしていれば、堂々と悪いことを人のせいにできるのだ。そうすれば、自分の心は傷つかなくて済む。つまり、自分を守るこの行為は、自分を大切だと思っているからこそだと、彼女は言いたいのだろう。

「あなたは自分を大切にしているの。大切にしているのに、死にたいと思ってしまっている。その矛盾が、あなたを苦しめている原因なのよ。でも、あなたはきっと、苦しみの中でも生きたいと願っているはず。あなたは『死にたい』と自分をだますことで、自分を守っているのだから」

「私は、本当に死にたいわけではなかったってことですか?」

「ええ、そうよ」

先ほどの先生の言葉は、腑に落ちた。今までの流れは、想像以上に理解しやすかった。ただ、私がこの先困難を乗り越えるためには、生きる意味を見つけなくてはならなかった。どうしたら、現状を回復できるのだろうか。私は希望をみいだせるのか。

「あなたは、やりたいことがある?」

「趣味もないし、自分の中の夢もありません。勉強以外は制限されてきたし、私も机に向かうこと以外しませんでした。やりたいことなんて、ありません」

「そうね。何がしたいかわからない。これが、生きる意味が分からない、ということなのよ」

先生の言うとおりだとは思う。ただ……。

「私にはやりたいことなんて……」

「本当にそうかしら?おいしいものを食べたいとか、かわいい洋服を買いたいとか、そういうことは一切ないの?」

「それなら、いくらでもあります」

「それだけで、十分生きる意味なんだよ」

「え、そんなことで?」

先生が挙げた例は、すべて日常での些細な欲だった。大望でもなく、宿願でもない。本当にそれだけで、生きる意味につながるのだろうか。

「そんなことじゃないの。食べたいものを食べれる、欲しいものを買える。当たり前のことかもしれないけど、そこから幸福を感じるものなの。あなたは、生きることに対して必要以上に意味を求めただけ。これからは、どんな小さなことでも幸せを感じられる、そんな練習が必要だね」

「幸せを感じる練習?」

「そうよ。それは、些細なことかもしれないけれど。あなたが行きたいと思った場所に行けた、あなたが読みたいと思った本を読めた。ほんのわずかなことでも、幸せって感じるものなのよ。あなたは今、そのセンサーが鈍くなっているの。だから、幸せを感じる習慣を身に着けること。これをあなたにやってほしいの」

「そんなことで、幸せになれるんですか?」

「そうよ。もしその習慣が身につけば、自分がしたいことを、自分が教えてくれるようになる。旅のテレビを眺めて行ってみたいと思う、興味があることをもっと知りたいと思う。ブログを見ていいなって思う人に憧れる。やりたいと思ったことを、進んでやる習慣を身に着けるの。そうすれば、生きる意味が見えてくるわ。やりたいことをやる、それだけでいいのよ。あなたは生きる意味へのハードルが、高すぎただけなのよ」

「生きることへのハードル……」

私の思う生きる意味とは、果たせないほどの壮大な夢や、世界を巻き込んだ願望だった。だが、それはすべて、必要以上に意味を求めていただけかもしれない。生きることへのハードルを、上げすぎていただけだったのだ。

しかし、よく考えてみれば、私の生きる意味もちっぽけなものだった。医学部に入って、世界中の人を救う。表向きは、そんな風に立派なものではあったものの、その根底にあったのは、親に褒められたいという、日常の些細な願いだったのだから。

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